中山岩太の装幀本! 五島美代子の『暖流』2014/04/26 17:54

装幀/中山 岩太

『暖流』。古書市で何気なく手に取った本の書名である。五島美代子歌集であった。箱から取り出すと、何やら不鮮明な水中模様の絵柄が出てきた。

 戦前の本で、写真を使った装幀は珍しいなあと思って、装幀は誰かと、頁を繰って装幀者名を捜すと、何と中山岩太とあった。  何で、五島美代子の本を中山岩太が装幀を?。不思議な気がしたが。その疑問は著者のあとがきで氷解した。彼女は中山岩太の姪御さんだった。

 そう思って見ると、この浮遊するタツノオトシゴ、似たようなものを彼の写真集で見たようである。  知らなかったな。

 たぶん、この歌集は近年再評価の著しい写真家の唯一の装幀書ではあるまいか。


† 暖流 五島美代子歌集


 五島美代子/著

 装幀/中山 岩太

 三省堂●

 ●昭和11年7月12日発行●箱 B6判(117×179ミリ) 240頁+10頁 貳円


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田中一光の装丁(2)デュラスの初期作品『夏の夜の十時半』2013/04/07 07:48

装幀/田中一光 写真/奈良原 一高

奈良原一高とのコラボレーションといったらいいのか、今見ると贅沢な組み合わせである。そんな時代もあったのだ。みゆきの名曲『時代』が耳元で響く!

何しろディラスも、まだ新人だったからデュラを表記されていて、びっくりする。一頃の勢いはなくなっても、彼女はフランス文学を代表する作家であるから、これも昔日の感を否めない。

このカバーの本も、今となっては珍しいが、このところの古書価格の凋落で、均一本で転がっていても、もはや誰も手に取って見ることもないだろう。


† 夏の夜の十時半


 デュラス/著 田中 倫郎/訳

 装幀/田中一光 写真/奈良原 一高

 河出書房新社●

 ●昭和36年8月25日発行●B6判 211頁 320円


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花田清輝の本 石元泰博&岡本太郎の共演!「大衆のエネルギー」2012/08/22 07:20

石元泰博/写真撮影 岡本太郎/カバー構成

私にとってもう少し生きていてほしかった人が二人いる。辻静雄と花田清輝である。

辻先生は六十、花田先生は六十五。共に早過ぎる年齢で、残念でならない。

私はとっくにご両人の亡くなられた年齢を越えてしまって、ただ老いの身をかこつのみ。

共に書物を通じてだけの出会いに過ぎなかったが、同時代を共に生きられ、その才能の一端に触れられたのをありがたく思っている。

この本は戦後の文学論争の盛んなころ出た傑作。花田、岡本、石元の揃い踏みは実に豪華、こんな出会いは滅多にお目にかかれまい。


† 大衆のエネルギー


 花田清輝/著

 石元泰博/写真撮影 岡本太郎/カバー構成

 講談社●

 ●昭和32年12月10日発行●四六判(128×188ミリ)・カバー 260頁 280円

雑司が谷タイム・スリップ その22012/07/04 11:12

鬼子母神参道・高田書店

君は知っているか、雑司が谷「高田古書店」を! 


†鬼子母神参道入り口、ここに古書店があった

 昔、鬼子母神参道の三叉路に古本屋があった。写真を撮影した一九八〇年頃は、すでに息子さんの代になり新刊も扱う店になっていた。

 いつ開業されたのかは分からないが、私が小学生の頃はすであったし、造作も立派で、確か付近は戦災に遭わなかったから、戦前からの店かも知れない。

 高校生の頃、このお店の均一本に「船乗りプクプクの冒険」があり、神田の某書店で引き取ってもらった覚えがある。

 なにせ、ご近所、界隈に古本屋があるのはいいもの。賑わう通りに、ちょっと醸し出される、なんとものんびりとしたムードを懐かしい。

 最近ではこの店跡を中心に、時々古本を中心としたフリーマーケットが開かれているのは、高田書店のご縁かも知れない。

雑司が谷タイム・スリップ その12012/06/27 10:34

「復讐するは我にあり」の舞台・福寿荘

「復讐するは我にあり」の福寿荘 東京都豊島馬区雑司が谷


†ここで殺人があった

 今ではすっかり様変わりをしてしまった東京・池袋の南、鬼子母神周辺だが、私が小さい頃は都電停留所から明治通りにかけて、賑やかな商店街があった。

 高田本町二丁目。そう、町名変更でなくなってしまったのだ、鬼子母神とその商店街をはさんで明治通りまでは、そう呼ばれていた。その商店街の中ほどに、鬼子母神の電停から行くと右手に古色豊かなアパート福寿荘があった。中廊下を抜けるとけやき並木の鬼子母神への参道へ出られた。

 高田本町があったころの餓鬼どもは通り抜け禁止の張り紙を無視して、よく走り通ったものだ。

 ここでの映画の撮影は別室らしいが、西口はここに住む老弁護士を殺した。今はそんなことも知らぬげに小さいマンションになっている。

 ちなみに電停近くの肉屋もロケ地になった。あれから三十年以上たったがその店も親爺も健在である(撮影された店はない)。