三雲祥之助、浅草仲見世を描いて秀逸。高見順『如何なる星の下に』2013/02/11 11:23

三雲祥之助/装幀・挿絵

この本の表紙を見て、一瞬、半世紀以上も前小学生だった頃の記憶が戻った。私は初詣の人並みにもみくちゃにされながら、ここを家族とともに本堂へ向かった歩いていたのだ。

浅草仲見世。戦後もあの頃までは東京で、一、二を争う盛り場だったろう。そこが舞台の小説の装幀だから、仲見世を描いて当たり前だが、この達者な腕は群を抜いている。

箱には浅草六区の楽屋が描かれていて、鏡を前に舞台化粧をするレビュー嬢もまたいい(お見せできなくて残念)。


† 如何なる星の下に


 高見 順/著

 三雲祥之助/装幀・挿絵

 新潮社●

 ●昭和15年4月27日初版 5月12日18飯発行●四六判(130×190ミリ)・箱 302頁 1円80銭


雑司が谷タイム・スリップ その22012/07/04 11:12

鬼子母神参道・高田書店

君は知っているか、雑司が谷「高田古書店」を! 


†鬼子母神参道入り口、ここに古書店があった

 昔、鬼子母神参道の三叉路に古本屋があった。写真を撮影した一九八〇年頃は、すでに息子さんの代になり新刊も扱う店になっていた。

 いつ開業されたのかは分からないが、私が小学生の頃はすであったし、造作も立派で、確か付近は戦災に遭わなかったから、戦前からの店かも知れない。

 高校生の頃、このお店の均一本に「船乗りプクプクの冒険」があり、神田の某書店で引き取ってもらった覚えがある。

 なにせ、ご近所、界隈に古本屋があるのはいいもの。賑わう通りに、ちょっと醸し出される、なんとものんびりとしたムードを懐かしい。

 最近ではこの店跡を中心に、時々古本を中心としたフリーマーケットが開かれているのは、高田書店のご縁かも知れない。

雑司が谷タイム・スリップ その12012/06/27 10:34

「復讐するは我にあり」の舞台・福寿荘

「復讐するは我にあり」の福寿荘 東京都豊島馬区雑司が谷


†ここで殺人があった

 今ではすっかり様変わりをしてしまった東京・池袋の南、鬼子母神周辺だが、私が小さい頃は都電停留所から明治通りにかけて、賑やかな商店街があった。

 高田本町二丁目。そう、町名変更でなくなってしまったのだ、鬼子母神とその商店街をはさんで明治通りまでは、そう呼ばれていた。その商店街の中ほどに、鬼子母神の電停から行くと右手に古色豊かなアパート福寿荘があった。中廊下を抜けるとけやき並木の鬼子母神への参道へ出られた。

 高田本町があったころの餓鬼どもは通り抜け禁止の張り紙を無視して、よく走り通ったものだ。

 ここでの映画の撮影は別室らしいが、西口はここに住む老弁護士を殺した。今はそんなことも知らぬげに小さいマンションになっている。

 ちなみに電停近くの肉屋もロケ地になった。あれから三十年以上たったがその店も親爺も健在である(撮影された店はない)。

恩地孝四郎の仕事(1)巨匠二人が揃った新書本2012/04/23 11:29

装幀/恩地孝四郎(右は木村荘八のカバー)

昔、中央公論社が出していた新書判のシリーズ本。当時は新書とは名乗っていなかったが、本体の装幀は恩地先生のデザインで統一されていたから、教養書のシリーズ企画だったのだろう。

カバーのデザインに先生が関与していたのかは分からないが、カット絵は表紙、裏表紙を含め三点あり、木村荘八の筆である。

例の『恩地孝四郎装本の業』では、本体はグレー白抜き模様とあるが、単なるグレー地ではなく、写真のように黄味ががったグレーのようだが。表紙に使われた紙色の影響かも知れない。


† 東京・京都・大阪 よき日古き日


 吉井 勇/著    装幀/恩地孝四郎 カバーカット/木村荘八

 中央公論社●

 ●昭和29年11月25日発行●新書判 233頁 130円

飲み屋斯々然々(かくかくしかじか) その12011/09/13 11:34

「たにし亭ありき」山口瞳・画

山口瞳水彩画「たにし亭ありき」


†最後のお見舞い 澤井ふささん

 今日この頃しばしば,いや、毎日のように「たにし亭」のことが思い出されてならない。

 私がそれだけ歳をとったということだろうか。三十数年前、それこそ毎日のように飲んでいた私が毎日のように通っていたお店だった。

 たにし亭主人、澤井ふささん。兄事していた飲み仲間の先輩と、介護施設にお見舞いに行ったのが、最後の別れとなってしまった。平成十六年二月十五日だった。

 部屋には作家山口瞳さんが晩年、閉店後のたにし亭を描いた水彩画が飾ってあり、おばさんのベットから、その絵は眺めることができた。

 おばさんは、もう僕らのことは分からなくなっていたようで、悲しかったが、昔のたにしの絵のそばで、幸せそうであった。

 それから三年後、おばさんは亡くなられたが、再度、お見舞いに行けなかったことは、世事に取り紛れていたとはいえ、今でもも悔やんでいる。おばさんは会いたい人に会えたであろうか、そのことだけが今でも少し気がかりである。

 たにし閉店後、おばさんはこの絵を自宅玄関に飾っていたので、遊びに行くたびにいつも眺めていた。ある時カメラを持っていたことがあり、おばさんにお願いをして、丁寧に複写しておいた。

 それが掲載の写真だが、原画はおばさんの死後、行方不明になったので、私の複写が後年、夫人の治子さんが瞳さんを追慕する「武蔵野写生帖」に活かすことができたのは、おばさんの大いなる配慮と思う。

 そのこともあって、たにし亭の常連だった友人の計らいで、治子夫人から掲載本をいただけたのは嬉しかった。

 しかし、旧たにし亭を描いた水彩画を見てびっくり。デジタル加工をした複写原稿を元にした印刷だったせいか、原画の持つ淡い黄味がかった色調は失われていた。

 あれ以来、気に病むことしきり、今回せめて、瞳先生の許せる範囲に復元を試みてみた。関係者の皆さんお許しを。