掉尾を飾るのは、またまた恩地本。佐和九郎著『撮影の技術』2017/12/25 17:07

恩地 孝四郎/装幀

本年最後は、恩地装幀本。背と表紙を一緒にスキャンした。講座のシリーズ本だが、何巻セットのシリーズ本なのか、全体の構成は掲載されていないので分からない。手慣れた恩地調の装幀となっている。

内容的には昔の東京風景が作例写真として出て来て面白いので、得難い一冊。特に参考になるのは風景など被写体をどう捉えるかと言った著者の写真論がたくさんの作例で述べられていることで、参考になる。


† 撮影の技術(佐和写真技術講座 4)


 佐和 九郎/著   

 恩地 孝四郎/装幀

 アルス●

 昭和30年6月30日発行●A5判 314頁 480円  


シムノンのメグレ本の装幀についてはこちらへ/

http://www.asahi-net.or.jp/~px5t-isi/


三雲祥之助、浅草仲見世を描いて秀逸。高見順『如何なる星の下に』2013/02/11 11:23

三雲祥之助/装幀・挿絵

この本の表紙を見て、一瞬、半世紀以上も前小学生だった頃の記憶が戻った。私は初詣の人並みにもみくちゃにされながら、ここを家族とともに本堂へ向かった歩いていたのだ。

浅草仲見世。戦後もあの頃までは東京で、一、二を争う盛り場だったろう。そこが舞台の小説の装幀だから、仲見世を描いて当たり前だが、この達者な腕は群を抜いている。

箱には浅草六区の楽屋が描かれていて、鏡を前に舞台化粧をするレビュー嬢もまたいい(お見せできなくて残念)。


† 如何なる星の下に


 高見 順/著

 三雲祥之助/装幀・挿絵

 新潮社●

 ●昭和15年4月27日初版 5月12日18飯発行●四六判(130×190ミリ)・箱 302頁 1円80銭


雑司が谷タイム・スリップ その22012/07/04 11:12

鬼子母神参道・高田書店

君は知っているか、雑司が谷「高田古書店」を! 


†鬼子母神参道入り口、ここに古書店があった

 昔、鬼子母神参道の三叉路に古本屋があった。写真を撮影した一九八〇年頃は、すでに息子さんの代になり新刊も扱う店になっていた。

 いつ開業されたのかは分からないが、私が小学生の頃はすであったし、造作も立派で、確か付近は戦災に遭わなかったから、戦前からの店かも知れない。

 高校生の頃、このお店の均一本に「船乗りプクプクの冒険」があり、神田の某書店で引き取ってもらった覚えがある。

 なにせ、ご近所、界隈に古本屋があるのはいいもの。賑わう通りに、ちょっと醸し出される、なんとものんびりとしたムードを懐かしい。

 最近ではこの店跡を中心に、時々古本を中心としたフリーマーケットが開かれているのは、高田書店のご縁かも知れない。

雑司が谷タイム・スリップ その12012/06/27 10:34

「復讐するは我にあり」の舞台・福寿荘

「復讐するは我にあり」の福寿荘 東京都豊島馬区雑司が谷


†ここで殺人があった

 今ではすっかり様変わりをしてしまった東京・池袋の南、鬼子母神周辺だが、私が小さい頃は都電停留所から明治通りにかけて、賑やかな商店街があった。

 高田本町二丁目。そう、町名変更でなくなってしまったのだ、鬼子母神とその商店街をはさんで明治通りまでは、そう呼ばれていた。その商店街の中ほどに、鬼子母神の電停から行くと右手に古色豊かなアパート福寿荘があった。中廊下を抜けるとけやき並木の鬼子母神への参道へ出られた。

 高田本町があったころの餓鬼どもは通り抜け禁止の張り紙を無視して、よく走り通ったものだ。

 ここでの映画の撮影は別室らしいが、西口はここに住む老弁護士を殺した。今はそんなことも知らぬげに小さいマンションになっている。

 ちなみに電停近くの肉屋もロケ地になった。あれから三十年以上たったがその店も親爺も健在である(撮影された店はない)。

恩地孝四郎の仕事(1)巨匠二人が揃った新書本2012/04/23 11:29

装幀/恩地孝四郎(右は木村荘八のカバー)

昔、中央公論社が出していた新書判のシリーズ本。当時は新書とは名乗っていなかったが、本体の装幀は恩地先生のデザインで統一されていたから、教養書のシリーズ企画だったのだろう。

カバーのデザインに先生が関与していたのかは分からないが、カット絵は表紙、裏表紙を含め三点あり、木村荘八の筆である。

例の『恩地孝四郎装本の業』では、本体はグレー白抜き模様とあるが、単なるグレー地ではなく、写真のように黄味ががったグレーのようだが。表紙に使われた紙色の影響かも知れない。


† 東京・京都・大阪 よき日古き日


 吉井 勇/著    装幀/恩地孝四郎 カバーカット/木村荘八

 中央公論社●

 ●昭和29年11月25日発行●新書判 233頁 130円