シムノンっぽく、あるいはメグレっぽく(3)セトル・ジャンのお店 ― 2011/09/19 10:06

その昔、パリはレアル・旧中央市場にB.O.F.(ボン・ウブリエ・フランス)という一杯飲み屋があったという。周囲の再開発後も親爺セトル・ジャンは愛妻と二人で店を切り盛りしていた。
わが愛するシムノンも通っていた店だという。勿論私はこの店を知らない。しかし、池波正太郎先生のフランス話には再三でてくるので、私もいつのまにか馴染みのお店と錯覚するようになってしまった。
池波先生の著書に、シムノンがこの親爺のお店を彼の新作のカバー写真に使っていて、親爺セトル・ジャンから、いかにも自慢気にそれを見せられたとあった。
私も見たいし、欲しかった本である。それがこの本である。
†MAIGRET et le marchand de vin (メグレとワイン商)
ジョルジュ・シムノン/著 1969年作品
1971年第2四半期(4月〜6月) 初版発行
PRESSES DE LA CITE版(106×178ミリ) 186頁 1981年印刷&刊行
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飲み屋斯々然々(かくかくしかじか) その1 ― 2011/09/13 11:34
山口瞳水彩画「たにし亭ありき」
†最後のお見舞い 澤井ふささん
今日この頃しばしば,いや、毎日のように「たにし亭」のことが思い出されてならない。
私がそれだけ歳をとったということだろうか。三十数年前、それこそ毎日のように飲んでいた私が毎日のように通っていたお店だった。
たにし亭主人、澤井ふささん。兄事していた飲み仲間の先輩と、介護施設にお見舞いに行ったのが、最後の別れとなってしまった。平成十六年二月十五日だった。
部屋には作家山口瞳さんが晩年、閉店後のたにし亭を描いた水彩画が飾ってあり、おばさんのベットから、その絵は眺めることができた。
おばさんは、もう僕らのことは分からなくなっていたようで、悲しかったが、昔のたにしの絵のそばで、幸せそうであった。
それから三年後、おばさんは亡くなられたが、再度、お見舞いに行けなかったことは、世事に取り紛れていたとはいえ、今でもも悔やんでいる。おばさんは会いたい人に会えたであろうか、そのことだけが今でも少し気がかりである。
たにし閉店後、おばさんはこの絵を自宅玄関に飾っていたので、遊びに行くたびにいつも眺めていた。ある時カメラを持っていたことがあり、おばさんにお願いをして、丁寧に複写しておいた。
それが掲載の写真だが、原画はおばさんの死後、行方不明になったので、私の複写が後年、夫人の治子さんが瞳さんを追慕する「武蔵野写生帖」に活かすことができたのは、おばさんの大いなる配慮と思う。
そのこともあって、たにし亭の常連だった友人の計らいで、治子夫人から掲載本をいただけたのは嬉しかった。
しかし、旧たにし亭を描いた水彩画を見てびっくり。デジタル加工をした複写原稿を元にした印刷だったせいか、原画の持つ淡い黄味がかった色調は失われていた。
あれ以来、気に病むことしきり、今回せめて、瞳先生の許せる範囲に復元を試みてみた。関係者の皆さんお許しを。
池袋昔日 その1 ― 2011/08/28 08:24
こんな文庫・あんなカバー(3) 旅は青空 ― 2011/08/18 07:47

私は池波正太郎のいい読者ではありません。彼の表看板の時代物を一冊も読んだことがないからです。嵐寛寿郎の鞍馬天狗を最後に見た世代ですが、とんと大衆小説としての時代物とは縁がありませんでした。
そんな私を夢中にさせたのが、人気作家として長く活躍した池波正太郎の「旅もの」でした。いや、実にうまい。何度読み返しても、厭きない不思議な魅力に富んだ作品群でした。
先生はスケッチもお好きだったらしく、ご自身の絵を自著のカバーに何度も使っていますが、これもそのうちの一冊です。私も一度は行きたかったビストロが描かれていて、パリの良き時代を髣髴とさせる、私の好きな先生の絵です。
最後にあとがきの常盤新平氏のオマージュもまたいい。池正の「旅もの」の魅力を余すところなく伝える文章は流石、手練れの技。感服するより他はありません。一読をお薦めします。
†旅は青空 新潮文庫
池波正太郎/著
昭和62年3月25日 初版 発行
A6判(105×148ミリ) 107頁 280円
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