雑司が谷タイム・スリップ その12012/06/27 10:34

「復讐するは我にあり」の舞台・福寿荘

「復讐するは我にあり」の福寿荘 東京都豊島馬区雑司が谷


†ここで殺人があった

 今ではすっかり様変わりをしてしまった東京・池袋の南、鬼子母神周辺だが、私が小さい頃は都電停留所から明治通りにかけて、賑やかな商店街があった。

 高田本町二丁目。そう、町名変更でなくなってしまったのだ、鬼子母神とその商店街をはさんで明治通りまでは、そう呼ばれていた。その商店街の中ほどに、鬼子母神の電停から行くと右手に古色豊かなアパート福寿荘があった。中廊下を抜けるとけやき並木の鬼子母神への参道へ出られた。

 高田本町があったころの餓鬼どもは通り抜け禁止の張り紙を無視して、よく走り通ったものだ。

 ここでの映画の撮影は別室らしいが、西口はここに住む老弁護士を殺した。今はそんなことも知らぬげに小さいマンションになっている。

 ちなみに電停近くの肉屋もロケ地になった。あれから三十年以上たったがその店も親爺も健在である(撮影された店はない)。

池袋昔日 その22011/09/06 09:15

池袋温泉(東京都豊島区)

七〇年代末 東京都豊島区池袋東


†駅から1分! 温泉がありましたよ

 いかにも場末めいた風情で、こんな写真を見ると、ついつい火事で燃えた日活などを思い出し、郷愁を感じるのは私ばかりではないでしょう。

 写真は、西口に抜ける山手線ガード下の専用通路を右へ、線路際へ出る三叉路にあった「池袋温泉」です。

 近くの名曲喫茶「白鳥」はよく利用しましたが、ここは前を通り過ぎるだけでしたので、当時の様子をご紹介できないのが残念です。

池袋昔日 その12011/08/28 08:24

懐かしき「人世横町」

七〇年代末 東京都豊島区池袋東


†人世横町かくありき

 目玉の水族館がリニューアルした池袋サンシャインがその昔むかしは東京拘置所だったことをご存知ですか?。

 そのお膝元にあった名物飲み屋街が「人世横町」。一番賑わったのは東京オリンピックの頃でしょうか、私は人世座で映画を観ていた青年でしたから、当時、そのすぐ裏の人世横町にはついぞ足を踏み入れたことはありませんでした。

 平成の御代、今だ健在なのは頼もしい限りですが、その中身は昔ののんびりとした佇まいなど、想像もつかない変わりようで、何とも残念なことです(老人の戯言)。

 そこで、三十数年前の写真を引っ張り出しましたが、いかがでしたか。