伊丹十三の自装本「ヨーロッパ退屈日記」 ― 2013/12/06 07:19
昔の東京オリンピックの翌年出た本。彼がまだ役者だった頃のものである。カバー裏に山口瞳による伊丹十三論がある。氏は伊丹十三と、彼が十九の頃から付き合いがあったそうだ。
今となって、この人物評を読むと、自死を選択してしまうその後を思わせるものがあって、山口瞳のある種の鋭さにびっくりしてした。
表紙のコラージュはご本人による。本文に挿入されている著者自身による挿絵もたくさんあって楽しい本であるので、今にして思えば余計悲しい。再婚した宮本信子さんの若き日の名古屋栄の地下街を舞台にしたNHKのドラマが思い出された。
彼女も初々しく、瞳さんが十三に会った一九歳ぐらいではなかったろうか。気分はちょっとセンチメンタル。この本を少し読み直してみよう。
† ヨーロッパ退屈日記
伊丹 十三/著
伊丹 十三/装幀&カット
文藝春秋●ポケット文春550
●1965年3月20日初版 1971年5月20日八刷発行●新書判(112×174ミリ)・カバー 258頁 300円
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荻須高徳の装幀本(2)マルセル・パニョル『マリウス』 ― 2013/10/20 08:26
雄鶏社のパニョルが手に入った。マルセーユ三部作の第一作である。ホルスト・ブッフホルツとレスリー・キャロンの主演で映画化された。その昔、私は新宿の今はなき京王名画座で観た。あの海の青さが強烈に印象を残した恋物語だった。
その原作の戦後版の表紙をOGUISSがやっていたとは知らなかった。戦前のフジタの装幀のほうがマルセーユぽい路地裏が描かれていて、またいいのだが、この版も港全景を描いていて、捨てがたい。
† マリウス
マルセル・パニョル/著 永戸俊雄/訳
荻須高徳/装幀
雄鶏社●
●昭和23年4月5日発行●B6判 275頁 100円
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装幀アットランダム(18)テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」 ― 2012/09/22 10:48
テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」初訳本である。ブロードウェイで大当たりをとり、映画化されたこともあり、後にこの本は新潮文庫になった(現在あるのは小田島先生の新訳)。
版元はつぶれる前の創元社で、まだ、ミステリなど出していない大阪にあったころの出版で、昔日感無量である。
永らく探していて、お目にかかれなかった本。手に入れて、またビックリした。
装幀はかの「カルバドスの唇」の吉原治良。ちょっとゴチャゴチャして、装幀としてはどうかという画面だが、もの珍しいさも手伝って取りあげることにした。
† 欲望という名の電車
テネシー・ウィリアムズ/著 田島 博&山下 修/共訳
装幀/吉原 治良
創元社●
●1952年10月10日発行●B6判 上製カバー 320頁 300円
自著自装本(2)またまた、高峰秀子の本「まいまいつぶろ」 ― 2012/08/16 10:25
デコちゃんこと高峰秀子はよくよく本作りが好きだったのだろう。この二冊目の著書も自装本である。
前作のコンセプトを踏襲して、立派な作りの本で、出来映えも文句のつけようもない。版元も同じである。
「まいまいつぶろ」とは、かたつむりのことらしい。この本で初めて知った。
ところで、彼女、エスカルゴを渡仏の際、食べたのだろうか、さあ思い出すことが出来ない。久しぶりに『巴里ひとりある記』を読み直すとするか。
† まいまいつぶろ
高峰秀子/著
装幀・画/高峰秀子
映画世界社●
●昭和30年6月1日発行●A5判変型(146×190ミリ) 箱 165頁 380円
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雑司が谷タイム・スリップ その1 ― 2012/06/27 10:34
「復讐するは我にあり」の福寿荘 東京都豊島馬区雑司が谷
†ここで殺人があった
今ではすっかり様変わりをしてしまった東京・池袋の南、鬼子母神周辺だが、私が小さい頃は都電停留所から明治通りにかけて、賑やかな商店街があった。
高田本町二丁目。そう、町名変更でなくなってしまったのだ、鬼子母神とその商店街をはさんで明治通りまでは、そう呼ばれていた。その商店街の中ほどに、鬼子母神の電停から行くと右手に古色豊かなアパート福寿荘があった。中廊下を抜けるとけやき並木の鬼子母神への参道へ出られた。
高田本町があったころの餓鬼どもは通り抜け禁止の張り紙を無視して、よく走り通ったものだ。
ここでの映画の撮影は別室らしいが、西口はここに住む老弁護士を殺した。今はそんなことも知らぬげに小さいマンションになっている。
ちなみに電停近くの肉屋もロケ地になった。あれから三十年以上たったがその店も親爺も健在である(撮影された店はない)。
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